繁華街。通りを離れたその向こう。



マンションの一角にある、とあるBAR。


カウンターの前で楽しそうにグラスを磨き、それからいそいそとオーブンからなにやら取り出している男がいた。店の従業員だ。
淵という。

そして。

「……はあぁーあ…」


隣でバーボンの入ったグラスを傾ける男が一人。陰鬱そうな一人手酌のこの男もまた、店の人間だった。
長い黒髪を持て余すように弄り、眉間に深い深いしわを寄せている。


「惇兄さぁ、もっとこ〜う、なんつーか。テンション上げていこうや!今日は〜楽しいバレンタイン〜♪だろ?」


歌うような口ぶりの淵。

「たのしかねーよ」

「なんでよ?」

「あぶくみたいにカップルが増えやがる。………腹が立つ

最後のほうは小声で、惇が言った。くるりと背けた、まるで熊が拗ねたかのような背中を見、淵は手を叩いて爆笑した。

「…アハハ!!何だよ兄ィ!寂しいのか!?」

「うるせえ!!」


「でもなぁ兄ィ、ちったあ愛想笑いでもしてくれねえとさあ、客逃げちまうぜ?せっかくの稼ぎ時が」




キイ。



(おっ、ほら言ってる先から早速お客が……兄ィ、営業営業!)


「……お邪魔するよ」


低く、甘さを含んだ声が響いた。
入ってきた声の主は上質の、ワインレッドのコートに身を包んだ男性だった。年齢は30代半ばぐらいだろうか、口元の無精髯が彼の整った顔と絶妙なバランスをとって男ぶりを引き立てている。


コートに手をかけそこに目をやる様子すら、微かな色を含んでやまない。
伏目がちな瞳に、ちら、と鈍い光が映る。


男は見ていた対象を変え、少し小首をかしげて淵達に向かって微笑んだ。

「予約は……とっていなかったが、いいかな?……座っても」

「え、あ…ど、どうぞ」

「有り難う」

丁寧なはずの彼の声に何故か気圧されたように淵があわてて軽く会釈をする。

「おいで」

男が入り口のドアに向かって声をかけた。
するとドアがキイと開き、愛らしい少女がひょこりと顔を覗かせた。

「お店…入ってもいいですか?」

「ああ。……二十歳以上ならな」

カウンター越しに惇が答えた。

「あっ、よかった!」


少女はうれしそうに笑うとてくてくと歩いて店の中に入ってきた。
冬だというのにティアードの軽やかな素材のワンピースにブーツ。リボンのオフホワイトの色は雪の妖精とおそろいなのだろうか。上に羽織ったニットのボレロだけが冬らしい。
見た目は正直二十歳をこえているようには見えないのだが、「よかった」と答えたあたり一応大人なのだろう。うまく言えないが、娘は不思議な雰囲気をかもし出していた。少女のような、大人の女性のような。
コートの男と並ぶと、親子のようにも見える。

が、雰囲気から察するに、親子ではないようだった。

小洒落た男は恭しく彼女の手を取り、自分の隣の席へと導く。



(…折を見て追い出せ…淵。特にあの男は何かいけ好かん

耳打ちする惇。

(え〜…!?第一印象で判断するのはどうよ兄ィ…


早速やってきたカップルに惇はまるで営業する気はないらしい。まあ、いつものことだが。


「わぁ…素敵なお店ですね」

目配せしながら会話する惇や淵に観察されているのをあまり気にしていないのか、小さな娘は店の中を興味深げにきょろきょろと見ている。


「私、こういうお店に来るのは初めてなんです。……あ!」

ぱっと顔を上げる。ちょうど、店の中の音楽が切り替わったときだった。


「……この曲。いいなぁ。センスいい曲に逢えると、嬉しくなるんですよね。マスターさんが選んでるんですか?」


「おい淵……フルーツでも出しとくか

(追い出すって言ってたくせに……)

惇は自分セレクトの曲でなおかつ自分も気に入っている曲を褒められると、すぐに上機嫌になってしまうのだ。
さらにオーダーされてもいない品を出しているのがその証拠である。
いつものことだと思いつつも、意気揚々とフルーツを盛り付ける鼻歌交じりの惇の姿にすっかり渋面になってしまう淵であった。












「それにしても、今日は来ねえのかなぁ…」


ぽつりと淵が、寂しそうにつぶやいた。

「何がだ」


客が帰っていった後に残された一組のグラスを静かに洗いながら、惇が答えた。

「何って…ちゃんだよ」

淵が惇の方を向いたが、相変わらず惇は表情ひとつ変えないでグラスを拭いている。

「……なぁ。もう閉めちまうか?店」


そうは言ってみたが、淵は、惇の横顔を見てそのまま口をつぐんでしまった。
惇に店じまいの準備をする気配がまったく無かったからだ。

黙って見ていると、今度は惇が熱のすっかり取れたケーキの台に飾り付けを始める。淵が先程オーブンで焼いて取っておいたものだ。
惇の表情は特に動きがなく、ただ黙々とクリームを塗り、最後にごつい大きな手が黄色の小さな砂糖漬けの花を散らしていく。


「先、あがってていいぞ」

「兄ぃ…」

もう客はやって来そうにないのに。
そう言いたかったが淵はしばらく惇の様子を見守った。どうせなら一緒に帰ろうやと声をかけたが、それでも惇は動きそうにないので仕方なく淵がゆるゆると退散を始める。


パタン、とドアが閉まった。




オールディーズのレコードはかけっぱなしのまま。




惇だけが一人店の中に残された。

それでも惇は、その場を動かなかった。
ケーキの上に広がった、ささやかな黄色の花束を目の前にして。

彼は適当にレコードを入れ替え、かすれたレーベルを静かにテーブルに放る。
そして顔にかかってきた長い髪を指でよけながら、一人カウンターの中に戻った。
何気なく手にした酒はやはりバーボン。

手馴れた様子で水割りを作り……



カラン。



不意に、ひとすじの風が吹き込んだ。外からだった。

ドアが開き、誰かがこの手狭なBARに入ってきたのだ。
惇が顔を上げれば、見慣れた顔の女がひとり。静かにたたずんでいた。

だった。

「ごめん…まだ、開いてた?」

小さな声で、が訊いた。

「ああ、まぁな……あと5分ほどで帰るつもりだったが」

「嘘ばっかり。…店片付けてないじゃない」

「…うるせぇ」

少し沈黙し、惇が言ったが、そこに抗議の色は微塵もなかった。まるで、がやって来ないことに拗ねたかのような、そんなそぶりだった。

が席に座ると惇は黙って酒瓶を取り出した。それと、オレンジジュース。

太陽の光のような、恵みの色。
それは春の、暖かな日差しのような。
淡い黄金の光がこぼれるように、グラスに移っていく様をは静かに見守った。

その向こうに見える惇の無愛想な顔が可笑しい。いや、微笑みたくなるのだ。
の視線に惇が気づいたのか、一瞬動きを止め、困ったように横を向く。


「…何だ。じろじろ見るな」


口をへの字にして言い放つその様子にもずいぶん慣れた。だがそれがの好きな、惇の表情だった。

再び目線をグラスに移せばシャンパンが注がれ、軽くステアされたグラスの中には幾つもの星のような粒が天へとふわふわ昇っていくような、不思議な世界が作られていた。
その様子をぽぅっと眺め、夢見る子供のような表情を見せるに、今度は惇がフと笑みをこぼす。


「…何よ。笑わないでよいきなり」

むぅと口を尖らせると、惇と目が合った。

短い沈黙。

口をついて出た台詞が、あまりにもお互いに似すぎていて、二人とも吹き出した。しばらく笑ってようやく落ち着いたのか、は、出来上がった飲み物を口にし、ふぅと穏やかなため息をつく。惇はカウンターから出、の隣までやってくると席に腰掛けた。

「…食え」

惇が、何気なく手近に置いてあったケーキを示した。先程淵が土台を焼き、惇がクリームを塗っていたものだ。

はというと、少し眉間にしわを寄せ、何か考えるような顔をした。


「惇」

「何だ。どうした?」

「先にケーキなんて出されたら、こっちが出しにくくなるでしょ」

そう言いながらが少し乱暴に自分のバッグの底をかき回し、取り出したのは…長方形の小さな包み。

「……バレンタイン。今日だから」

…」

「義理よ、義理」

言いながら、惇の胸に押し付ける。
惇は少し戸惑った顔をしたが、やがて自分の胸に当てられたチョコレートの箱と、それを持つの手の上に静かに自分の手を重ねた。
じんと、柔らかな熱がの手に伝わっていく。

「……惇」

握り締めた手を顔に近づけそっと手の甲に口付ければ、は上気した顔でぽぅっと惇を見つめ返す。

誘われるように今度はその顔に口づけようとして……惇が照れたように、意味もなく髪をぐしゃぐしゃとやった。
しばらく動きを止めていたがやがて意を決したのか、額、鼻先、それから唇に熱がゆっくりと降りてくる。

心の隅まで行き届くような熱は、甘い菓子よりもずっとずっと味わい深く甘美なものだった。









惇夢でした。ちょっぴりバレンタイン仕様。お店っぽい感じを目指しつつ。
ミモザはシャンパンで作るカクテルです。グラスの半分にオレンジジュースを入れてそこに同量のシャンパンを入れ、スプーンでぐ〜るぐるしてできあがり。ですがシャンパンがなにぶん高価ですのでお家で作るなら代わりにスパークリングワインとかで作ると吉です(吉って…)。
そうそう。

ミモザの花言葉は、秘められた愛。
燃えさかる気持ちも素敵だけれど、慎ましやかな気持ちのほうが不思議とどっしりと落ち着いて、揺るがぬような気がして素敵だなと思ってしまいます。

(チャルさんへ)
いつもお世話になっているチャルさんに、日頃の感謝をこめて何かできたらと思い、遅ればせながら作ってみましたお話をひとつ。今回もカクテルモチーフ夢です。
古今東西、いろいろカクテルはありますが、チャルさんへ差し上げるなら、やはり「ミモザ」で考えたいと思いました。
例の彼らの、ミモザの曲を頭の中に流しながら。

Feb.9, 2005 モユ拝





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『空中洋裁店・紬や』 のモユ様より賜りました。
いやもう、頬緩みっぱなしなんですけど   ?(〃ω〃)どうしましょ?
お世話になってるのはコチラの方なのにモユさんのその思い遣りと寛大さにただただ感謝!
モユさんっ!ラ―――――ヴッ!!←ヤメレ!

モユさんの描いて下さる世界観(お店・人物像 etc...etc...)私的思うところに合致して嬉しくなります。
曲に対する惇兄の思いから…フルーツて!(爆笑)
うん。そんなヒトであって欲しい!(笑)
そのうえ今回の"お客様"ってばもう!(〃▽〃) ←ごめんなさいね?ワタシはモユさんに誰のイメージか聞いて知ってるのです。
うふふふv…って皆さんも気付かれるかな?(*^-^*)               あああ…徳山ヴォイスが交差する〜(ウットリ v)

カクテルの「ミモザ」…私的一番好きなカクテルだったりv
…イヤ、ワタシのは白ワイン+オレンジジュースの"ミモザもどき"だと言うのはナイショですがヾ(´▽`;)ゝ…←ボカッ☆彡 ブチ壊しだコノヤロウ!
オーダーする時「ミモザ↑」「ミモザ↓」の発音でお店のオニーちゃんと言い合った思い出深いカクテルでもあります(遠い目)



惇兄が散らす砂糖漬けの黄色い花々。
   何を、誰を思いながら?


ミモザの花言葉は「秘められた愛」ですか。
バレンタインという冬の風にふわりと載って、お互いが少しだけ熱を感じる距離に近づけたら…いいですな。(ヲトメチックに言ってみた風・殴)


そしてワタシも彼らの曲を胸に抱きつつ………




"ミモザの花の季節を いつしか時が追い越しても
         ふたり巡り会えたら ただ真直ぐに運命を迎えに行くだけ"



ガラスの靴は無くても…



                       My funny Valentine.
                      Sweet comic Valentine.
                   You make me smile with my heart.


                                Each day is Valentine's day.

                                             My funny Valentine/ChetBaker('54)